実感
ひょろんとしたものと、くねっとしたものが好きみたい。
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記憶というものが宿った頃には、自分はどこかはみ出したところがあるということに気づいていた。
同じ年の子たちが笑っているのを見て、強烈な違和感をおぼえずにはいられなかった。
まわりの子たちのように無邪気には笑えない自分がいた。
人生はこんなに大変なのに、笑ってる場合じゃありませんって思ってた。
34歳の今、わたしはわりと無邪気に笑えるようになった。
年を重ねて、生きてゆく術を実体験で学んできた。
幼い頃にひどく不安を感じたほどには、人生は大変なことばかりじゃないかもしれないとも思えるようになった。
マイナーチェンジは都度あるけれど、わたしという人格はおよそ3歳の頃からあまり変わらないようである。
誰のせいでもなく、環境のせいでもなく、わたしはそういう人間としてこの世に誕生してそういう風に生きていくようである。
誰かや何かのせいにすることはとても簡単だから、せめて、自分に起こること、自分が選んだことのすべては自分の責任にあると思って生きていこうと思っている。
わたしは少し折れ曲がっているのかもしれないけれど、それでもやっぱり生まれてこられたことにとても感謝しているし、命ほどに価値のある与えられるべきものは他に何もないと思っている。
ひょろひょろっとしたものや、くねくねっとしたものに親近感をおぼえるのは、きっとそのあたりのことなんだろう。
*お詫び*
毎度のことながら、お返事が遅れちゃってます。
何度も言ってたら真実味にかけちゃうかもしれないけれど、コメント、嬉しく拝見しておます、ほんとです。
コメントを残してくださった皆様、ほんとに毎度のことながら、ごめんなさいね。
by tomily
| 2008-09-05 13:50
| くらし